どうもお久しぶりです

先日3月11日(日)、地元



にて記念すべき第1回京都マラソンが開催された訳ですが
この3月11日と言うのはホント何かの偶然なのか、1年前の東日本大震災と同じ日でして、
この大会に参加した選手や役員の皆さんが、それぞれの想いで走ったりサポートしたり、応援したり…いろいろな
意味のある大会だったと思います。
私は今回、この京都マラソンは走って参加せず、サポート側で参加させていただいた訳なんですが、最初は「第1回大会やから

」って軽いノリでいたんですが、実際やらなアカン業務ってのは関門閉鎖なんで、その時間になったらランナーを止めるとても心苦しい役目な訳で…でもその時間になるまではただひたすら
応援
応援
応援
地元と言う事で、同じチームの人が多く走ってるから応援も楽しくて

←ってこの絵文字トミー〇雅みたいにビッグフェイス


まず最初にクラブ内でトップでやって来たのは
K君
←速い…(でも体調不良でアカンかったらしい。って十分速いのに嫌味か

私にその脚

分けてくれ

むしろこのお腹

のお肉

をあげよう

)
そして、
タカさん
(師匠

私に飲む

楽しさを教えてくれ、強くしてくれた方。めっちゃ久しぶりすぎてめっちゃテンション上がってたらタカさんが写真撮って

くれた

イヤイヤ…逆やん

タカさん走ってはるんやしタカさんの写真撮ってあげるべきやん

)
やら、
あ゛ぁ゛゛こっから順番テキトー

むしろはっきり覚えてるんK君だけって言う記憶力の悪さ
ベンさん
、
A立さん
、
I俣さん
、
ツンツンさん
、
K林くん
(4月から仕事で関東に戻るし京都走れるん最後になるかもしれんもんな…修論お疲れさん

またいつでも走りに京都帰ってきてよ

)、
S藤さん
、
みずきさん・
K辻さん

(みずきさんは名古屋とのダブルエントリー

(

)みずきさんは楽しそうに走ってはったし応援してるこっちも元気もらえた

)、
F井さん
、
O沢さん
、
I田さん
、などなど多くの方が走っておられました。
そして関門閉鎖の時間になると自分に厳しく

サササッと閉鎖させていただきました

ちょっと余談ですが私は数年前、東京マラソンにたまたま当選して走らせてもらった訳ですが、その東京マラソン、今まで味わったことのない大会だと思った。
何がスゴイって沿道の方々の声援・応援のスゴさ。
別に他の大会の応援がアカンって訳では全くなく、それ以上にあの声援・応援に感動してしまった。初めて走りながら泣きそうになった。
それはしんどいとかじゃなくてただただ応援のスゴさに感動したからやと思う。
特にその年は寒くて雨や雪が降ってるにも関わらず応援の多さ

ありがたかった

ホンマに大袈裟に聞こえるかもしれんけど、たかが応援、されど応援。
自分の持ってる以上の力を自分以外の誰かが引き出してくれる。
言葉を声に出すことで人を傷つけたり悲しませたりもするけど、勇気ずけられたり笑顔にしてもらったし何よりさっきまで元気なかった人を一瞬にして元気にしてくれる。
そんなことを考えさせられた大会でした。
だからこそ自分に
今出来ること

それは、声をだして笑顔で、走ってる人の疲れを癒す…この声と笑顔じゃ癒せないな

癒すのは辞めて、この声で走ってる人の疲れをぶっ飛ばす

そう思いながら仕事せなアカン時間になるまで走ってはる人に応援してた。
最後らへんはハイタッチ



しながら、元気・パワーを与えて、与えてもらってた。
結局自分が元気もらってる…

ありがとう。
その時の
今出来ること出来たかな


ちょっとでも届いていたらいいけど

…
そうそう話は少し戻りまして、1年前の大きな震災やマラソンを走って感じたこと。そして何より最近よく思うこと。
人と人のつながり
って本当に大切だなぁってこと。
どっかで誰かがその姿を見てくれて、見守ってくれて、支えてくれてる。
そう考えると、老若男女関係なくいろんな人たちがいる中で出来た
太陽が丘ジョギングクラブ
という1つのコミュニティー(意味:居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで
深い結びつきをもつ共同体。地域社会。)にめぐり合えた事に感謝し、クラブ名に負けないように、苦しいときこそ太陽

みたいなステキでキラキラした

笑顔

が出せるように、これからも頑張っていかなアカンなぁと思いました。
「座布団1枚

」